Mental health record (1)

0.メンタルヘルスについて

 他ブログではアップしていたのですが、こちらのブログでは上げていなかったため、一部改訂したものをこちらのブログにも掲載しておこうと思います。

まあまあの長文になるので、数回に分けて掲載するとにします。

内容的には、私の体験談であり、パワハラによるメンタル障害を受け、それを克服するまでの記録になります。

現在も、パワハラなどで、うつ症状で悩まれている方々がいるかと思います。

そういう方の一助になれば幸いかと思い、ブログにアップすることにしました。

1.プロローグ

「就職しますか?」

心療内科の先生の第一声がこれでした。

衝撃の一言で、そんなにひどい状態なのか、と驚きました。

同時に、今の仕事をどうしよう、職場のみんなに何て言って休職しよう、というのが頭に浮かびました。

「仕事もすぐに引き継げないし、今から休職するわけにはいかない」ということを話し、休職はせずに治療を進めることにしてもらいました。

但し、残業はしないように、と念を押されました。

自覚症状としては、どんなに疲れても寝付けず、また、頭が重く、やる気がどんどん失せていく、、という感じです。

ある年の夏に、地元のお祭りがあったんですが、私は自治会の班長であったため、

休日毎に頻繁にお祭りの準備にかり出されました。

お祭りの前夜祭では、リハーサルのようなものがあり、朝から山車を引いて練り歩く、というのがあり、お昼に数時間の休憩があった時のことです。

眠くて眠くてどうしようもない状態だったので、家で少し寝ようとしました。

ところが、全然眠れないんです。こんなことは初めてでした。

でも、この時点では、メンタル的やられていることが原因だとは気付きませんでした。

夜、布団に入ると、今までは5分と経たないうちに熟睡できていたのですが、

その頃は、寝付けないだけでなく、朝起きても何となく寝足りない、

という感じが続いていました。

また、会社には車で通勤していたのですが、ある時は、駐車場に着いてから、

頭が重く、どうしても、職場に行く気になれず、そのまま駐車場から引き返し自宅に戻ったこともありました。

このようなことから、自分がおかしな状態にあることを少しずつ認識していったように思います。

これが鬱、というのはこの時点では良くわかっていませんでした。

ここに至った原因はわかっていて、今で言えば、パワハラ、というものです。

<組織変更>

まずは、私の仕事のことや、それまでの経緯について話しておこうと思います。

もちろん私目線で考えていますので、勘違いや偏見はあるかもしれませんが、

私の正直な思いを書いていくことにします。

私の名前はマイケルです。私の性格を説明するには、生い立ちや、職歴など、色々と説明が必要かと思いますが、それについては、ここでは詳しくは書きません。話の流れで、説明が必要になったら考えます。

当時、私のいた会社の一組織が、別会社に吸収され、親会社が代わり、それに伴い、組織変更がありました。

私がいた会社はベンチュラ社、親会社はウッドランド社と呼ぶことにします。

ベンチュラ社では、新製品開発を始めていたA部署に、私が所属のB部署の担当者が異動することになりました。

私の仕事というのは、簡単に言えばソフト設計で、もうちょっと詳しく言うと、

電子機器のデバイスを動かすための組込みソフト設計、というものになります。

デバイスとしては、モーターだったり、センサーだったり、多種多数です。

A部署、B部署共、設計部門は、ザックリ言うと、ソフト設計、ハード設計、メカ設計で構成されます。

私は、B部署のソフト設計部門から、A部署のソフト設計部門に異動した、ということです。

当時課長職だった私は、B部署の精鋭ソフト設計者2名を連れて行く形となりました。

トミーとカルロスの2名で、彼らは二人とも若く、社内でもトップクラスのソフト設計者だと思っていましたし、新製品開発を担当することで、まだまだ伸びて行きそうな、頼もしい限りの人材でした。

親会社が代わったことで、当然、新製品開発は、親会社であるウッドランド社の意向に合わせざるを得なくなり、開発の進め方は従来の方法とは全く変わってしまいました。

新製品開発は、A部署のサンウ部長の下、イッキーとフックを中心に先行検討が進められていて、そこに、私が加わって、検討を進めて行くことになりました。

イッキーがハード設計担当だったのですが、彼はソフト設計もできる優秀な人材でした。

ウッドランド社に出向いて、色々と調査したり、打合せする機会も増えました。

サンウ部長の下、B部署から来た私がソフトウェア設計の取りまとめ(課長職)を、ハードウェア設計の取りまとめ(課長職)を同じくB部署から来たコニーが担当する組織となりました。

<最初の事件>

コニーは、私のいたA部署で一緒に仕事をしていた仲で、優秀なハードウェア設計者です。

ちょっとだけ、コニーのことを話しておきます。

おそらく、通常は、ハードウェアは汎用的な構成として安価に作り、機能搭載はソフトウェアで実現する、というのが、ソフトウェアとハードウェアの役割分担としては一般的だと思っています。

ところが、コニーの場合は、ソフトウェアで処理するよりもハードウェアで処理する方が高速で、ソフトウェア負荷が少なくなる、という設計をいとも簡単にしてしまう、というのが、彼が凄いと思うところです。汎用的なハードウェア設計ができる設計者は掃いて捨てるほどいると思いますが、ある機能に特化した専用のハードウェア設計をできる人って、あまりいないのではないかと思っていて、コニーのような設計者は貴重です。

新製品は、大規模な電子機器でしたので、ソフト設計は多くの担当者を必要とします。

そのため、外部からの派遣も依頼したりもしました。

とにかく、即戦力の人材が必要でしたので、派遣採用の面接には私も出席しました。

まず最初に派遣として来てくれたのがタミーで、彼は、かなりのベテランで、

組込みソフト設計のプロフェッショナルでした。

そんな中、開発が始まって間もなく、最初の事件が起きました。

新製品開発に最初から担当していたイッキーが会社を辞めてしまったのです。

ハード設計もソフト設計もできる優秀な人材だっただけに残念でした。

彼と一緒に先行検討していたフックがいるのですが、彼はソフト設計者ではありますが、私から見ると、設計者としても、取りまとめ者としても力不足かな、と思っていました。

イッキーが辞めてしまって、戦力ダウンは否めない、という状況でした。

イッキーが辞めた理由は、詳しくはきいていないのですが、その時は、仕事が面白く無くなったのかな、ぐらいに思っていました。

(ライバル会社に転職したとの話を聞きました)

<特異な職場>

それからは、ソフト設計に関しては、私とフックが中心となって開発検討を進めていきました。

異動してから、A部署の担当者と話したり、打合せする機会も増え、各担当者の経歴や力量もわかってきたのですが、体調不良のものが数名いることがわかりました。

ソフト設計者の取りまとめ担当である私が、彼らの面倒も見なければならなくなりました。

ヤンは、メンタル的な疾患から、自律神経失調症みたいな症状で長期休職していました。

ワンは、当初は腰痛で、休職していたのですが、その後、メンタル的におかしい、というのを理由に、休職、復職を繰り返すようになりました。

ニンは、やはりメンタル的な疾患で、休職、復職を繰り返していました。

この中で、ヤンは、ソフト設計についてよく理解している設計者で、体調不良で十分な力を発揮できずに残念でした。

ニンについては、彼が新人で入社した時、私が面倒を見ていた間柄で、設計者としての力量としては十分とは思っていませんでしたが、その部署では、彼なりに頑張っていたようです。

休職したり、復職したりする毎に、心療内科の先生との面談などがあり、そのやり取りも含め、結構大変でした。

彼らは、今回の組織変更がある前から調子が悪い状況で、それまではサンウ部長達が面倒を見ていたようなのですが、私が異動して来たのに伴い、悪い言い方をすれば、お荷物を押し付けられた、という感じです。

お荷物と言い方は悪いと思うので、少し補足しておきます。

ヤン、ワン、ニンは、しっかり経験を積めば伸びる素質を持ったエンジニアだと思っていました。ただ、その場が与えられなかった、というのが残念なことだなと思っています。それは当時の上司に責任があると思っています。

そう言うと、彼らの面倒を、いい加減に見ていたと捉われそうですが、私の性格上、

適当にやることはできませんでしたので、キチンと面倒を見てきたつもりではあります。

ただ、こういう体調不良のメンバーは今まで見たことがなくて、戸惑いながらの対応だったので、充分な対応ができたか、というと、あまり自信は無いです。

でも、かなり特異な職場、という感じはしました。

===> to be continued <Mental Health Record(2)>


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