Mental health record (3)
前記事(2)の続きです。
1.そして心療内科へ
このような状況の中で、仕事は大きく計画から遅れてしまい、
テコ入れのため、親会社のウッドランド社から、アレックスとフェルナンドが出向してきました。
この頃になると、前記事記載の自覚症状が出てきたため、私も心療内科を受診することにしました。
最初は、シン先生という、男性の医師で、最初の診察の結果、鬱症状、と言われました。鬱病ではなく、「鬱症状」と診断書に記載されました。
薬の名前は忘れましたが、青い錠剤の、抗うつ剤でした。
体調不良の設計者3名の面倒をみながらの診療内科通いになりました。
他の人の面倒を見ているところじゃない、という状況でした。
少しして、心療内科の先生が、シン先生からサラ先生に代わりました。
サラ先生は女医さんで、可愛い系か美人系のどちらかと言うと、微妙に美人系、という感じの先生でした。
先生が代わって、最初に受診した際に、家族構成から始まり、仕事のことや、症状のことなど色々と問診がありました。
サンウ部長とのやり取りがストレスになっている事も話をしました。
そして、最初に出た一言が、冒頭の「休職しますか?」です。
本当に驚きました。
今のまま仕事を続けていては回復しない、という見立てでした。
休職については勘弁してもらいましたが、残業はやらないようにと念を押されました。
<カミングアウト>
そのことは、すぐにサンウ部長に通知されると思っていました。
この時、抗うつ剤の他、併せて、入眠剤も処方してくれました。
この後、抗うつ剤の量が次第に増えていき、それが約10年続くことになるとは思ってもいませんでした。
その日は、なんとなく、残業しないで帰りました。
その夜、早速、入眠剤を飲んで寝たのですが、これが、嘘のように良く眠れました。
この時、初めて、今まで寝れていなかったことに気付きました。
その後、残業禁止の件で、サンウ部長に呼び出されると思っていたのですが、いつまで経っても、サンウからは何の話もありませんでした。
近いうちにサンウに呼ばれ、「残業しないで帰れよ」と言われるものと思っていました。
私が直接、診断結果をサンウに話をすれば良かったのでしょうが、サンウ部長とは話をしたく無かったこともあり、自分からは話をしませんでした。
でも、サラ先生からは残業しないで帰れと言われていたので、どうしようかと考えていました。
考えた結果、思い切って、元のB部署のトーマスにメール経由で相談してみることにしました。
すぐに彼からの返信があり、「主治医の指示に従うのが一番じゃないか」というものでした。この一言で決心が付きました。
毎日黙って定時で帰るわけにはいかないと思い、ソフト設計担当宛にメールを発信しました。
メールには、心療内科で受診したら鬱症状と診断されたこと、残業禁止を言い渡されたこと、入眠剤でよく眠れたこと、今日から残業しないで帰らせてもらうこと等を記載しました。いわゆる、カミングアウトです。
この少し前から、ウッドランド社から出向してきていたアレックスとフェルナンドも
一緒に仕事をしていますので、宛先に含めました。
サンウ部長は宛先から外しました。この件で、また呼び出されて話をするのが嫌だったからです。
その代わり、サンウ部長の上司であるサッチーは宛先に含めておきました。
そのメールを発信後、その日から定時で帰るようにしました。
<周りの温かさ>
すると翌日、何名かの設計者から、「大丈夫ですよ。お大事にしてください」という旨のメールがありました。元々A部署にいたメンバーからのメールで、ちょっと意外でしたが、気持ちのこもった嬉しいメールでした。
カミングアウトメールには、こうなった原因の内容は書きませんでしたが、原因はわかっている、ということは書きました。
おそらく、彼らは原因を察しての返信だったと思っています。
さらに、アレックスに呼ばれ、メールのことについて、ちょっと話をしました。
アレックスにはこのような状態になった原因も含め少し話をしました。
昨日、ウッドランド社に一時的に戻っていたフェルナンドが、
「マイケルが大変なことになっているようなので、今日は行く予定じゃなかったけど、ベンチュラに行った方が良いですか」と言っている、というのをアレックスから聞きました。
アレックス、フェルナンドが、こんなに気に掛けてくれていることに感謝しかありませんでした。
この話を聞いただけで、大きく救われ、涙が出そうでした。
サッチーからも呼び出しがあって、少し話をしました。サッチーは元のB部署時代の一時期上司だった人で、私のことをよく理解してくれていて、今回のこともよく話を聞いてくれました。
その後は、アレックスが主導権を握るようになり、サンウとの接点が次第に減少し、
アレックスに守られながら仕事を進めることができるようになったことで、症状が徐々に改善していきました。
後からわかったのですが、診療所からの通知がかなり遅れてサンウ部長に届いた、
というのをサンウ部長から聞きました。
でも、通知が届いたのが遅かったのか、サンウ部長がその通知を放っておいたのかはわかりません。
この時は、既に自分で解決しようとしていましたので、自分の中ではどうでもいい話になっていました。
残業しないで帰れ、というような言葉は無かった様に記憶しています。
この時だったかどうかが記憶が曖昧ですが、サンウ部長は、サラ先生のことを次の様に言っていました。
「あの先生は、誰でもすぐに休職させるんだよねー」
こんな風に思っている人なので、診療所から通知が来ても、真剣には考えないのかもしれません。
<解決のポイント>
ここまでで、症状回復のポイントについて整理しておきます。
まず大事なのは、相談できる友人(上司でも、同僚でも、後輩でも)を持つ事です。
自分の状況を他人と共有することで、少し落ち着くことができます。
そして、話す勇気を持つ事と、我慢せずに周りの人に頼る、というのも大事です。
相談できる人がいないとか、頼れる人もいない、と思う方がいるかもしれませんが、
一人で生きてきた人っていないと思うので、探せば、必ず誰かいると思います。
話す勇気を持って、話す決心をすることで、相談相手が見つかるかもしれません。
当事者にあまり関係のない第三者で、自分をよく知っていると思われる人を探してください。
私の場合、サンウ部長が諸悪の根源で、それ以外の同僚、上司には恵まれていたと思っています。そのため、このぐらいの症状で済んだと思います。
これで良かったのかどうかというのと、私の事を、一設計者はどう見ているんだろうというのが気になりましたので、ある時、元のB部署のカールに聞いてみました。
カールは、新製品開発の設計者として、少し遅れて、B部署から異動してきました。
実は、彼の異動も、私が少し関わっていたのですが、そのことは省略しておきます。
彼の答えの要旨はこうでした。
「マイケルさんは良くやっていると思います。尊敬しているんです」
この言葉にもかなり救われました。
こう思っている人がいる、ということだけで安心できました。
彼は、B部署で一緒に仕事をしていた仲ですが、ソフト設計のことだけでなく、
組織のおかしいところをはっきり言うタイプで、私も同感と思う発言をよくしていました。
多くの設計者が、なんとなく組織に流されて仕事をこなしていく、という感じなのですが、彼は、最終的には流されてしまう部分もありますが、正しいことを良く理解している設計者で、信頼できる設計者の一人でした。
結局、私は、ウッドランド社のアレックスとフェルナンドに守ってもらいながら、
元のB部署のトミー、カルロス、カールを中心に、全設計者、派遣の方々に助けられながら仕事を続けることができた、ということを実感しています。
<抗うつ剤の副作用>
その後、新製品開発も無事完了し、製品出荷まで漕ぎ着けることができました。
その間、主治医であるサラ先生の指示通り、ずっと抗うつ剤は飲み続けていました。
この抗うつ剤については、話の続きがあります。
症状は回復してきて、頭が重い、というのも無くなってきたので、サラ先生に
薬はもうやめてもいいんじゃないかと聞きましたが、完全に回復するまでは飲まないとダメ、とのことで、薬は停止されませんでした。
薬の影響かどうかがわからないのですが、便秘と、心拍数が多い、という症状が数年続きました。
サラ先生に相談したところ、抗うつ剤は、そういう副作用は無いはず、ということで、便秘については下剤を飲んだらどうか、と言われました。
これにはちょっと驚きました。
便秘だから下剤、って、短絡的でしょう。さすがに、下剤は使用しませんでした。
抗うつ剤の量は少し減らしてもらいましたが、この頃から、サラ先生にちょっと不信感を持つようになりました。
心拍数が高い点については、近くの内科で診てもらいました。
血圧が少し高めで、そのせいではないか、とのことで、
血圧を下げる薬を処方してもらいました。その後、約1年ぐらいでしょうか、内科通いをしました。
それで、少しは心拍数は下がった感じではありましたが、なかなか正常値にはなりませんでした。
私は、抗うつ剤の副作用だと思っていました。
そうしているうちに、突然、A部署は、ウッドランド社へ転勤することになりました。
それに伴い、心療内科も変更することになり、そのための紹介状を作成してもらいました。
しかし、転勤後、自分ではもう回復していると思っていたこともあり、紹介状はどこにも提出しませんでした。
つまり、新たに心療内科へは行きませんでした。
そして、抗うつ剤に懐疑的だったため、しばらく抗うつ剤を止めてみました。
転勤に伴い、内科通いもやめてしまったので、血圧の薬もやめてしまいました。
この頃はすでに、頭が重い症状や鬱症状は、ほぼ感じない状態でした。
すると、しばらくすると、便秘が解消され、昔通り、毎朝普通にお通じがあるようになりました。心拍数も正常値に戻りました。
抗うつ剤が原因だったことがはっきりしました。
<そして定年を迎え今へ>
転勤後、約2年半で、私は定年退職し、ベンチュラ社近くの自宅に戻りました。
正確には定年までは勤めてはなくて、定年の少し前にセカンドライフプラン制度というのを利用して辞めています。
退職を機に、昔やっていたゴルフを再開し、また、体力アップのためウォーキングも始め、なんとなく暇を潰しながら、のんびりと生活しています。
ただ、体力、筋力が、思いのほか落ちていることに愕然としました。
体育会系出身の私としては、筋力低下はショックでした。
特に筋力は、ちょっと落ち過ぎで、会社生活時代に鍛えられなかったことを後悔しています。
この歳になると、なかなか筋力は付かないのですが、少しずつでも、なんとか頑張ろうと思います。
ゴルフのドライバーの飛距離を伸ばしたいんです。
前述の、暗黒の10年間が悔やまれます。
これも、サンウ部長のパワハラが一要因なので、それを、多くの人に知ってもらいたいのと、メンタルヘルスで悩む方への一助になればいいな、ということと、
書くことで、少し気が治まると思い、この記事を書き始めた次第です。
パワハラが無かったら、こんな病気にもならずに、家族とももっと楽しい時間を過ごせただろうし、身体を鍛えることもできただろうし、
ということが頭に浮かんでしまい、どうしてもサンウ部長を恨んでしまう自分がいるのも事実です。
この10年を返して欲しい、というのが正直なところです。
ただ、それをいつまでも根に持っていると、どこかの隣国人のようになってしまうみたいで、それも嫌なので、今は、過去のことと割り切るように考えています。
でも、忘れられるかというと、忘れることは無いと思います。
サンウは、私が中途入社当時の上司で、まあまあお世話になりました。そのこともあって、サンウとは年賀状のやり取りをしていましたが、会社を辞めるちょっと前からは、年賀状はやめました。
また、退職後、それまでもらった年賀状は全て廃棄しました。サンウを記憶から消し去りたかったからです。
ここに書いたことで、かなり気が済みました。というか、結構スッキリしました。
日本語で書いていることからお判りかと思いますが、私は日本人で、会社も日本国内の企業です。
10年以上前の話ですので、覚えていないこともあり、もっと詳細に書けないことが残念ではありますが、言いたいことはほとんど書けたと思います。
特に、メンタルヘルスで悩んでいる方や、同様の体験をされた方の感想などを頂けるとありがたいと思います。
また、ここまでの記載で判りにくかったことがありましたら、ご指摘頂けるとありがたいです。
差し支えない範囲で追加記載させて頂くつもりです。