Memories from elementary school

1.唐突ですが・・・

本ブログのテーマからは大きく外れますが、最近、「小学校」時代を思い出す機会があり、

そういえば、自分の小学校時代って、あまり良い印象が無いなーって思い出しました。

唐突ではありますが、その思い出というか、記憶に残っていることを記しておきたいと思います。

2.記憶

(1)初日に迷子

 小学校入学の初日の出来事です。

 授業が終わり、集団下校するときの話です。

 集団で下校するにあたり、どの方面に帰宅するかで、その方面ごとにグループを作って、そのグループに1人の先生が付き添って集団下校する、というものでした。

(今、思うと、です。)

ですので、各方面ごとに、その担当の先生が、集合をかけて、集まったら、その先生が先導して児童を連れて、各自の自宅近くまで付き添っていく、ということだったんだと思います。

ところが、当時、私は、各方面ごとに集合する、ということを理解できておらず、自分の帰宅方面のことなど全く知らず、おそらく、何も考えずに、担任の先生のところに集合しました。

そして、先生に付いて、集団下校したのですが、途中、1人ずつ生徒が減っていって、最終目的地に着きました。先生が付き添うのはそこまでで、そこで、解散、みたいな感じになりました。おそらく、私以外の生徒は、その親が、そこまで迎えにきていたか、自宅がすぐ目の前だったのかと思います。

しかし、私が着いた場所は、私の知らない場所で、そこで1人にされてしまい、途方に暮れてしまいました。そこから、どうやって帰ろうと思っていたかは覚えていないのですが、その近くの魚屋まで歩っていったのは覚えています。

なぜ魚屋まで歩って行ったのかはよく覚えていなくて、おそらく、わけわからなく歩っていて、魚屋さんに声をかけられたようです。

つまり、迷子です。

そうしているうちに、その魚屋に、近所のおばちゃんが来たんです。

うちの両親は共働きで、日中、家にはいなかったので、迎えにくるつもりは全く予定していなかったと思います。

その近所のおばちゃんとは、小さい頃からよく面倒見てもらっていて、家が隣ということもあり、よく行き来していた家です。

後から聞いた話で、そのおばちゃんは、私がそろそろ帰ってくる頃だと思って、近くまで迎えに行こうと、その魚屋さんのところまで歩ってきたんだそうです。

おばちゃんのおかげで、無事、家に帰れた、ということです。

でも、今、考えると、学校の担任の先生のずさんな引率が原因ですよね。

昔は、生徒数も多く、一人一人に気が回らない、ということだったんでしょう。

(2)4年生の時にビンタ

 今でも忘れない、「○いたえいきち」という先生です。

校内で、なんの行事かは忘れてしまったのですが、学校以外から誰かが来ていて、その人と、何か話をするような機会があった時のことです。

各自が、代わる代わる他の教室でその外部の人と、なんらかの話をして、話が終わったら退室する、というようなことでした。

その面談みたいな時には、担任の先生も同席していました。

その面談の席で、面談が終わった時に、私が、その席で、「もう終わったので帰ってもいいですか?」って聞いたんです。

もう終わったので、帰ってもいいのかな、と思って、普通にそう聞いただけです。

その時、その相手がどう返したかは覚えていませんが、結局は帰らずに、自分の教室に戻りました。

そして、全員が教室に戻った後、担任の先生が戻ってきました。

すると、すぐに、「今から名前を呼ぶやつは前に出ろ」っていうんです。

何名か呼ばれて、その中に私も呼ばれました。

すると、1人ずつ、なんだか理由を言って、ビンタし始めました。

私の時は、「お前、”帰っていいですか?”ってなんだ!」という理由みたいで、1発ビンタされました。わけわからない理由でビンタされた気分です。

当時、先生に逆らうなんてできませんので、その場は殴られるままでしかいられませんでした。

すぐ後で思い返すと、「なんで、あれでビンタされないといけないの?」という思いが強くなりました。次第に腹立たしくなりました。

今の時代なら、「体罰」そのものですよね。

しかも、理由が曖昧、理不尽そのもの。即懲戒免職ものでは?

なーんて思ってしまいます。

その先生は、もう死んでいる思いますが、死ぬ前に、文句の一つも言ってやればよかったと思います。

(3)六年生の時に体育が「1」評価

体育の先生の名前は「○ずきみつしげ」です。今でも覚えています。

マラソンや縄跳びをやった頃の時期なので、3学期あたりの成績でしょうか。

当時の通信簿って、5段階評価でした。

その頃、小学校の頃は、私は運動神経はあまり良い感じではなかったです。

でも、速くは走れないけど、体力はまあまああった方なのかもしれません。

体育の授業で、マラソン大会や縄跳び大会がありました。

マラソン大会では上位入賞(10位以内ぐらいだったと思います)し、縄跳び大会でもまあまあの成績を残しました。縄跳び大会は、全員で縄跳びを開始し、失敗した人から脱落していくみたいな感じの大会があって、私は、結構最後の方まで残れていました。

器械運動は苦手でしたが、できないわけではなく、格好は悪いかもしれませんが、まあまあできてはいたと思うレベルです。

そうした成績を残した学期の体育の成績表が「1」だったんです。

「1」は無いでしょう。

体育を欠席したこともありませんし、前述の成績からしたら、「1」評価になる理由が見当たりません。

これは、絶対、評価間違い(おそらく別な人と間違っているのではないか)だと思いました。

小学生ですので、先生に、「なんで1なんですか」なんて聞けません。

小学校、中学校を通して、「1」をもらったのは、この時が唯一です。

これって、傷つきますよね。

と同時に、その先生に対して怒りが込み上げています。

この先生も、もう死んでいると思いますが、その後、どんな生涯を送ったか知りませんが、碌でもない人生だったことを祈っています。

以上、碌でもない小学校時代だったような気持ちです。

実際、あまり楽しい記憶がありません。


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